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自殺未遂をした後、ちょっと腹が据わってきたように思います。もう逃げ場がないのなら進むしかない。ハイになっていたような感じです。そのまま入院となりました。手術の前日に入院したと思います。K病院は手術は1日に2人で、その前後の人たちが10人ほどが入院していました。初日から手術当日は個室でした。絶食しただけだったと思います。検査があったかもしれませんが、よく覚えていません。手術は2人のうち私が最初でした。手術着に着替えて歩いて手術室に入り、はーいよろしくね…という先生の声を聞いて、安心して目を閉じました。手術は麻酔から覚めるのを含めて2時間ほどの予定でしたが、私はもう1時間ほど余計にかかったそうです。後から聞くと、若いからできるだけ乳房を丸く残そうと、一生懸命脂肪を集めて縫い合わせていて時間がかかったとのことでした。麻酔からもすっきりと目覚めました。

手術した右の乳房からはチューブが出ていて、それが入ったバッグがベッドに下げてありました。これが取れるまで入院しているとのことでした。手術翌日から大部屋に移動です。10人ほどでした。34歳の私が一番若く、40代~60代の女性たちです。みな温存手術で、同じバッグを下げていました。結婚していないのは私だけだったようです。チューブに続くバッグは肩から下げるようになっていて、すぐに歩き回れるようになりました。みな手術を終えた安堵からか、明るくて打ち解けやすかったです。他愛もないテレビ番組の話から家族の話、愚痴まで気さくに話しました。これから健康を守るために何を食べたらいいか、○○の水がいいらしいなどという話題もよく出ました。K病院では食事が病院食ではなく仕出しの食事で、とてもおいしかった。見た目も味も器もちゃんとしていて、主婦の皆さんは「こんな贅沢ができるなんて!」と毎日感激していました。これも今考えると、病院の心遣いだったかもしれません。内臓に問題があるわけではないし、女性ばかりですから食事にはシビアです。少しでも気持ちよく過ごせるようになっていました。食後は全員廊下に集まり、術側の腕を伸ばすストレッチをしました。壁に腕を這わせて、だんだん上に持ち上げていくのです。私は難なくできましたが、痛くてまったくできない方もおられました。

手術から数日後、先生から説明がありました。私のがんは2センチほどでした。顔つきは悪くはないがしっかり根を張っていたので、予想よりも大きく切り取ったとのことでした。センチネルリンパは、10個の細胞から1つがんが検出されました。女性ホルモンによって増殖するがんとのことで、リュープリン注射5年間のホルモン療法とUFTという抗がん剤を服用することになりました。そして、リンパ節への転移はないのでこれ以上は取らないが、がんが見つかったので抗がん剤を予備的に飲むということでした。さらに、退院後すぐに放射線治療を6週間受けることになりました。

入院していた10人も徐々に入れ替わっていきます。私は10日ちょっとぐらいだったでしょうか。とにかくハイな感じでした。とにかく同じ病気でだいたい同じ治療を受けている人ばかりというのが安心できました。それぞれが得てきた知識を教えあったり、不安を話したり。話したくなければ布団をかぶって寝ていても、そっとしてくれました。私だけの経験ですが、これはよかったと思っています。私はチューブから血のようなものが止まるのが早く、すんなり抜くことができました。スポッと抜いて、直径5ミリぐらいの穴があいているだけです。すぐにふさがるとのことでした。すでにリュープリンの注射は受けていました。1か月に1回、注射を受けることになります。チューブが抜けたら退院です。退院の日、父が迎えに来てくれました。ほとんどの人が放射線治療に通うことになっていました。放射線治療は市内の大学病院に通うことになります。「じゃあね!大学病院でまた会おうね!」とみな口々に言いました。父は「靖国で会おう、と飛び立つ特攻隊みたいだな」とびっくりしていましたが、誰かが退院していく時はそういう感じでした。

ちょっと話題はそれますが、お金のことも書いておきたいと思います。私は無職の実家暮らしでしたから、ほとんどを親に出してもらっていました。がん保険にも入っていませんでした。母が悪性黒色種を患ったときに入ろうと思ったのですが、当時の収入ではなかなか難しく、まあいいや…と思っていたところにやられた感じです。細かいことは覚えていませんが手術、入院で20万円はかかったと思います。それまでの検査代なども合わせると、30万円はかかったでしょう。しかも、これから定期的なリュープリンの注射と放射線に通わなくてはなりません。ふと思い出したのが養老保険でした。だめもとで電話してみると、がんの場合は特定疾患で給付金が出るとのこと。退院後に手続きをして、たしか現金を20万円ほど受け取りました。そのお金は放射線治療と、通院に使いました。放射線も1回3000円くらいはかかったと思うので、本当に助かりました。がんの後は保険の類はほぼ入ることができないので、この養老保険は頼りになりました。リュープリンの注射、UFTの代金で3カ月に1度は5万円くらいかかりました。そう思うと5年間の治療でだいたい100万円は必要だったということになります。入院していた仲間の中には、がんで多額の保険金が出たので車買っちゃったわよ、という方もいらっしゃいましたが、3~5年の安くはない治療、転移再発の危険、がんの治療以外の医療費(漢方やふつうの風邪など)も考えると、できるだけ蓄えておいたほうがいいのではないかと思いました。

To be continued…