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子宮、卵巣を取ってしまうということ。
その時の私はこのことに殆ど感情がなかった。おそらく子供を持つ事はもうないと思っていたことが一番だと思うが、子宮を取る事で女ではなくなってしまうような感情は私にはなかった。
ただ、自分の子宮や卵巣に対して本来の機能である子供を宿すこともなく生理のためにしか存在しなかった事、ガンを住まわせてしまったこと、最後まで私の身体と一緒にいられなかったことにごめんね…という気持ちはあった。
でも、これらは私の一部であり、私なのだ。私という本体が残っている限り失ってもきっと何らかの別な形で再生するだろう。
ただ今は、ガンが子宮の中だけで留まっているように、子宮に頑張ってもらいたい、そんな思いだった。

最悪の事態を想定して、死も身近に考えた末に全てを受け入れようと思ったけれど、こうして一つ一つが具体的になり、治療をすることに積極的になるとやはり、死はまた遠いものとなっていった。

先生の話を聞いた帰り、夫と食事をしながらまずはダンスの先生に知らせなければと言う事になった。発表会に出られないとなれば私のいたポジションが空いてしまう。日曜日のレッスンの前にきちんと伝えなければ皆に迷惑をかけてしまう。電話やメールよりも会って話したかったので友人であり、ダンスの先生でもあるSちゃんにアポを取った。続いて特に親しくしている友達2人も一緒にダンスをやっているので、メールで会いたい旨を送った。
皆何ごとかと思っただろう。

土曜日の夕方S先生は自宅に寄ってくれる事になっていたが、仕事が押しそうなので、日曜日じゃだめ?とメールが入った。日曜日じゃだめなのだ。仕方がないので電話で話した。彼女は驚いていたが、電話だったし突然だったので、とにかく発表会のことは心配しないでと言ってくれて電話は終った。
午後Mちゃんの家へ。彼女も案の定何ごとかと思っていたようで、話の内容に衝撃を受けていた。途中から声が震えていた。Mちゃんがとうとう泣き出してしまったものだから、つられて私も泣いてしまった。夫に話したときも親に話したときも泣かなかったのに。でも少しすっきりした。彼女には重いものを背負わせてしまって申し訳ない気持ちになったが、私はこの日の彼女からどれだけの勇気と力をもらったか知れない。この日、はっきりと思った。絶対頑張る。頑張れると。
そしてこのあとも、たくさんの人から勇気と力をもらうことになるのだ。

この日Mちゃんの愛犬2頭は、熱烈歓迎で迎えてくれたが話が始まると静かになった。そして雌犬の方が私の側に来てずっと上目遣いで見つめていたのだ。実は彼女もまた不妊手術のため子宮を取る事になっていたのだ。知ってか知らずか。間もなく子宮を取ってしまう同士、何か感じる物があったのかな。

その後夕方やっともう1人の友達Aちゃんと連絡がついた。近くのファミレスで会う事になった。
Aちゃんにも相当衝撃を与えてしまった。ごめんね。でも彼女にもたくさん力をもらうことになった。

これで今言わなければならない人達にはだいたい伝えたことになる。あとは仕事と、確定申告を間に合わせれば何とかなる。入院まで1週間ちょっと。

翌日、レッスンの前にS先生が寄ってくれた。彼女は私の顔を見ると泣き出してしまった。泣かれるとは思わなかったからちょっとびっくりしてしまったが、自分のために涙を流してくれる人。昨日のMちゃんに続いてうれしかった。全部私の力になっていくのを感じた。頑張れる、そう思った。

それから1週間。新規の仕事をとらなかったせいもあり、何とかこなして行けた。忙しくしていたので、余計な事も考えずに淡々と日々が過ぎていった。
月曜日には髪を切った。ベリーのために伸ばしていた髪だが、しばらくできないのだし。思い切ってショートカットにした。

2月5日土曜日。
何と自宅の洗濯機が壊れてしまう。それまで怪しい動きをしていたのだが、ついに修復不能になってしまった。何と言うことだ。入院直前。シーツもフトンカバーも洗っておきたいし、洗濯も出来るだけ済ませておきたいのに!
全くこれからお金もかかるっていうのに、タイミングが悪すぎる。さらにこの日、お皿も1枚割れてしまった。ここまでくると、これは私の厄を全部持っていってくれたんだわと思えてくる。

そして、日曜日。発表会の日。
夫に朝一番で電機屋さんに行ってもらい、即納できるのを買ってきてもらった。
私は家の事、確定申告、細々した仕事に追われていた。
そんな中、発表会の様子がリアルタイムでメールに入ってきた。S先生、Mちゃん、Aちゃんの支度をした姿が写メで送られてきた。
前日、S先生に心は一緒に舞台に上がってるからね!とメールをもらっていた。皆の気持ちが本当にうれしかった。出られないのは悲しかったけれど、こうして一緒にいる気分にさせてくれて、本当にありがとう!
出番の時間が分かっていたので、その時間は私も一緒に心と頭で踊ろうと思っていた。ところが!ちょうどその時間に洗濯機がやってきた。あ〜なんてこと!

無事洗濯機の納品も終るころ、発表会も終った。

それからしばらくしてMちゃんと先生が舞台メークのド派手な出で立ちで自宅に来てくれた。
二人は発表会の様子や色んな事を賑やかに話してくれた。私にとってこの日はとても嬉しく、勇気付けられる日になった。友達って本当にありがたい。

みんな色んな方法で励ましたり力をくれる。
奈良にいる友人Kも同じだ。彼女は自然治癒力を信じて手術をしないで欲しいと言って来た。そう言われるのを予測出来たのでギリギリまで病気の事を言わずにいた。もう手術も終ってから言おうかとも思っていた。でも何故かここのところメールもなかった彼女からメールがあった。特に用があったわけではないのだが・・・。これは話した方がいいという事だろうと思いメールで打ち明けた。案の定民間療法を否定する内容だった。でも自分の考えを話し、分かってほしいと言うとその後は何も言わなかった。
そして彼女は身体にいいものや、これからの私のためになるものをたった1日で用意してくれて奈良から送ってくれたのだ。
手作りの切干し大根や、干し椎茸、梅干し、番茶などなど。その中に彼女手作りのお守りがあった。ぐっと握ってみると彼女のエネルギーが伝わってくるようだった。届いたその時から寝る時も私の子宮辺りに身につけていた。
マクロビを実践している彼女から教わった食事などを退院したら実行しよう。

日曜日はそんなこんなで慌ただしく過ぎていった。夜の12時以降飲み食いはできない。これでしばらくは病院食になるので、夫は奮発してステーキを作ってくれた。ちょっと高いワインで健闘を誓った。

To be continued…