プロフィール

2010年2月 子宮体がん
手術/準広汎性子宮全摘・リンパ節(骨盤内・傍大動脈)・両卵巣摘出
2010年4月 抗がん剤治療開始

私は2011年2月8日に手術の後6回のTC療法の予定でした。ところが術後白血球が上がらず(1700)一旦見送りになりました。とりあえず退院して血液に異常がないか、抗がん剤の副作用に耐えられるかを専門の先生に判断してもらうために血液内科を受診。骨髄検査を行いましたが異常はありませんでした。体調が回復するまで待とうということになりましたが、思うように白血球は上がらず。
TC療法は特に白血球が下がりやすいので、主治医の判断で少しでも骨髄抑制の少ないAP療法(ドキソルピシン(アドレアシン)・シスプラチン)に変えることになりました。
TCだと外来で出来たのですが、APは入院しなければなりません。理由はシスプラチンは、腎臓に対する毒性が強く、投与中、投与後に利尿剤を併用し常に尿の量を観察する必要があるからです。順調に行って3日間ずっと点滴を続けることになります。尿の量が少ないともっとかかるかもしれないのです。

そうして私は、退院後約1ヶ月後にようやく化学療法が始まりました。しかし、この時もまだ白血球は少なく2000を少し越えた位でした。ただ、身体の方は順調に回復していたので、量を減らし様子を見ながら投与することになりました。

AP療法の副作用としては、吐き気、脱毛、腎障害、心毒性、白血球減少などの説明がありました。特に吐き気はかなりあると言われました。脱毛に関しては、TCに比べると軽い「まだら抜け」。
ネットで色々調べてみると、やはりシスプラチンの副作用は「派手」だということでした。よーし、派手な副作用には派手に対応してやる!

【入院1日目】
初めての抗がん剤ということで、薬剤師さん、看護師さん入れ替わり来て説明してくれました。シスプラチンはその名の通りプラチナ製剤です。そうか…私の身体の中にはプラチナが入るんだ。
抗がん剤は明日から。そして明日の朝6時から尿の量を測っていきます。

【入院2日目】
私にとって一番救いになったのは「イメンド」という吐き気止めでした。
この薬はもともとアメリカで開発されたもので、2009年に日本で発売されました。今回私の入った病院でも2010年から導入したそうです。
高価な薬ではありますが、これによって吐き気という部分では、随分楽になったのではないでしょうか、
私は抗がん剤初体験だったので、この薬を飲まない状態の時と比べることは出来ませんが、結果的にたぶんこのお陰で随分吐き気は少なくてすみました。

「イメンド」が他の吐き気止めと違うところは脳の嘔吐中枢という部分に働きかけるものであるようです。
この薬を投与前、投与後1日目、2日目と時間正確に飲んで行きます。

さて、いよいよ点滴が始まります。
まずは利尿剤1ℓ。続いて吐き気予防。
その後まずはシスプラチン。約2時間。直射日光に当たらないように遮断してあります。何だかものものしい…。利尿剤500ml。そしてアドリアシン。約30分。こちらは真っ赤な液体。いかにも毒っぽい。ようやく抗がん剤の投与は終わり、あとはひたすら6時間程利尿剤。すべて終ったのは深夜になっていました。
通常吐き気は翌日か翌々日くらいに始まるらしいのですが、私はその夜から来ました。だんだん胸がつかえる感じがしてむかむかしてきます。看護師さんからは「気持ち悪くなったら無理はしないように」と言われていました。気持ちが悪い状態で無理をして処置が遅れるとますます悪化するというのです。
私は兆候が出た段階ですぐに看護師さんに助けを求めました。看護師さんはその後も吐き気止めと睡眠剤を点滴に入れてくれたので、具合悪いながらも寝ることが出来ました。
ただ、これだけの利尿剤を入れている訳ですから当然何度もトイレに行きたくなります。吐きっぽい状態でトイレに行き、尿を容器に入れなければならないのはかなりきつかったです。とはいえ、その夜吐くこともなく終えることが出来ました。

【入院3日目】
朝、昼、夜ともに食欲なし。ひたすら利尿剤と生理食塩水の点滴。むかむか。
トイレ以外はベッドから動けず。動くと吐きそうになるので出来るだけ静かに音楽を聴いて過ごしていました。しかし、嘔吐はなし。

【入院4日目】
この日も朝からひたすら利尿剤と生理食塩水の点滴。朝牛乳を少し。昼は夫が持ってきてくれたグレープフルーツ。夜は何とコンビニのおそばを食べることが出来ました。まだむかむかはするけれど、少し気分は落ち着いてきました。
夜7時過ぎにやっとすべての点滴が終わり、針が取れたところでシャワーの許可がでました。
この時点で尿の量が少なかったり、気分が悪いともう少し入院が長引くのですが、私は副作用が早くやってきた分、早く抜けたのでしょう、翌日退院となりました。やはりあとは家で静養したいという思いもありました。

こうして入院5日目の朝退院しました。
家に帰ってからは、とりあえず食事はとることは出来るけれど、食べるとムカムカ。お腹空いてもムカムカ。夕方頃になるともう限界…と言う感じでした。

退院3日後に外来がありました。私は元々白血球が少ないところから始めているので、普通の人よりも頻繁に血液検査をして経過を見て行かなければならないとのことでした。
まだ体調はよくないのに、病院は混んでいて1時間以上待たされます。仕方がないこととはいえ、本当にきつかったです。
この時の血液検査の結果はやはり白血球は少なく2000以下。この日から2日続けて、翌週も3回白血球を上げる注射ノイトロジンを打ちました。
ムカムカも中々抜けなかったので、プリンペランを処方してもらいました。しかし、このいかにもやる気なさそうな名前の薬は全然効果がなく、時間が過ぎるのをひたすら待つしかないと思いました。
主治医からは1週間すれば楽になるからと言われていたのですが、その通りちょうど1週間を過ぎた辺りから「薬が抜けてきた〜」と感じるようになりました。そして、退院から1週間でほぼ完全復活。うな重を食べて復活宣言!と、毎回こんな感じでした。

そうは言っても白血球はいつもギリギリでした。注射をすると上がるので先生も心配はないと言っていましたが、感染には細心の注意をしていました。
マスク、手洗い、うがいは徹底しました。口内炎の出来やすい体質だったので、これも予防に努めました。とにかく塩でうがい。これをマメにしていたら大事にいたらずに済みました。また清潔に保つことも気をつけました。体調が優れなくてもお風呂は毎日入りました。清潔なお湯に清潔なタオル、全てに気を使いました。そして生ものは食べない。人ごみには出来るだけ出ない。自分の身体は自分で守らなければ。

そして通常ならば3週で次の投与となるわけですが、やはりというか残念ながら白血球が回復せず、4週で次の投与となりました。
1回目の投与から2週間が過ぎた頃、頭皮がヒリヒリしてきました。「来るぞ」と思いました。私は抗がん剤が始まるまでに時間がかかってしまった分、色々準備ができました。というかしなくていい準備までしてしまったというか…。
脱毛に関して腹をくくっていたので、それはもう色んなものを揃えてしまいました。まずは帽子。「頭皮に優しい」抗がん剤治療中用のコットンの帽子、スカーフ、ウィッグ。ウィッグも医療用とファッション用と。
その後もバンダナやら色々買ってしまいました。
というわけで、脱毛も準備万端。いつでも来い!と思っていました。
私の場合は、お風呂で髪を洗っている時に抜け毛が増えてきたなと思っていると、日に日にガンガン抜けて行きました。一時は毎日排水溝を掃除しないとダメなくらい。それはもう凄い勢いで抜けました。
けれど、4.5日でその勢いは収まってきました。毎日抜けてはいたけれど抜ける量は減っていきました。その時点で髪の量は50%位になっていたと思います。
もみ上げの部分が結構残っていたので、髪は剃らずに自然のままにしておくことに。もともとAPは「まだら抜け」なんだし、様子を見ようと。

そんな状態で2回目をうけるため入院。
1回目と同じように事は進んでいきます。看護師さんも前回で状況が判っているので、吐き気止めも早め早めに入れて対処してくれました。そして2回目もほぼ1回目と同じような経過をたどり、5日目の朝退院しました。
そして退院後やはり5回のノイトロジン注射。

そしてまた4週目に3回目の入院。
その間、髪は抜け続けました。波があってどさっと抜けたり、少なかったり。この時点で残り40%位でした。仕事のときはウィッグ、普通に買い物とかお出かけの時はバンダナか帽子、家ではそのままで過ごしました。

3回目にもなると随分ペースもつかめて来て、食事も病院食はキャンセルし、夫に食べられる物を持ってきてもらっていました。
食べられるもの…フルーツや麺類(そば、そーうめん)、具の入っていない塩おむすび、牛乳。以外にダメだったのがスポーツドリンクで、中途半端な甘さにムカムカ来ました。

そしてやはり5日目の朝に退院。ここまでは良かったのですが、退院後2週間程したところで、歯茎に膿みがたまってしまったのです。口内炎かと思って鏡を見てびっくり、化膿しているじゃないですか!押してみたら白い膿が出るし!実は、歯の治療中に病気が発覚してそのまま手術となってしまったため、抗がん剤治療前に歯医者に行ったんです。そして事情を話して検査と処置をしてもらったのに!
とりあえず主治医に連絡し、血液検査をすると白血球はまずまず。感染症ではないだろうからこの病院の口腔外科の先生に応急処置をしてもらうように言われました。
そんな事があっての4回目のための受診をその1週間後にしたのですが、またもや白血球下落。もう1週間待ってみたのですが遂に上がらなくなってしまったのです。

主治医はもう2週間待ってみようかと言いましたが、果たして投与の間隔がそこまで空くのはいいのだろうかと思い、聞いてみるとやはり「効果は薄れるかもしれない、良くはない」という事でした。それならばもうやりたくない、楽な治療じゃないのです。お金もかかります。治療の効果が曖昧であり、この先もわからないのであればここで終わりにしたいと。
主治医もこのまま続けることに積極的ではなかったため、「じゃ、終了!」ということになりました。こうして私の抗がん剤治療は3回で終りました。

3回しか出来なかったと思うか、3回出来たと思うか人それぞれだと思いますが、私は3回出来たのでヨシとしようと思います。きっと私は身体がもうやめようって言っていたのだと思います。そう思うことにします。

その後髪はしばらく抜け続けました。最終的に30%位残ったでしょうか。結局剃る事はしなかったので、中途半端な「ハゲ頭」状態になってしまいました。やっと抜けるのが収まったのと入れ替わるように新しい髪が生えてきました。生命力というのは凄いと思いました。
また、睫毛や眉毛は抜けませでした。抜けたのは頭と陰毛と脇毛が少し。

私は手術入院から退院してからは、主食は玄米が中心でした。野菜、きのこ、海藻、大豆を出来るだけとるようにして、肉や加工品は極力さけ、甘いものもなるべくとらないようにしました。どうしても甘くなりたいときは和菓子を食べるようにしたり。そうは言っても抗がん剤で弱っているときはガツンと肉!と言うときもありましたが、基本は玄米菜食です。そのお陰だと思うのですが、お通じに苦労することは殆どありませんでした。投与直後は食べていない分出ないのですが、玄米を食べられるようになるとお通じも戻ってきました。
副作用が派手なシスプラチンでも一度も吐かずに済んだのは、イメンドのお陰ももちろんですが、この食事もあるかと思います。
幸か不幸かすぐに抗がん剤治療に入れなかった期間、食事を変えることによって身体も準備できたのかもしれません。
私は他の方と比べて副作用は軽かったと思います。でも自分で出来ることは頑張ってやったとも思っています。

今や、日本ではAP療法は主流ではないようですが「よく効く薬です」と私の主治医は言っていました。その言葉を信じています。